
マイコネ:芝野さんはマイコネのプロフィールで紹介されているように、様々な活動に参加されておられますが、「ぼらばん」との出会いのきっかけを教えていただけますか?
芝野:昨年(2008年)夏休みに入る前、「ぼらばん」の推進機構であるESDボランティア育成プログラム推進ネットの代表代行でもある松岡教授が講義中に「岡山のハンセン病療養所のワークキャンプに参加しないか?」という話をされたんです。 当時は「ぼらばん」や「ワークキャンプ」が一体何かも知らなかったんですけど、ハンセン病療養所にいけるような機会は滅多にないと思って参加したのがきっかけです。
マイコネ:どんなワークキャンプだったのですか?
芝野:夏祭り準備や、草刈り・海岸でのゴミ拾いを中心としたキャンプでした。ゴミといっても流木を担いで運んだりもするもので、炎天下だとすごくきつかったです。でも、ただ単純でしんどい作業をすることが目的なのではなくて、しんどい作業を共有したらうわべで繕ったつきあいはできなくなる。 素の個人同士が共同生活するから、ときには衝突も生まれる。そこから生まれる人とのつながりを大切にすることが狙いの一つになっているワークキャンプだったんです。
マイコネ:どんな出会いがあったのですか?
芝野:「ぼらばん」の個性的で面白いメンバーに加え、ワークキャンプで出会ったのが、現在僕が宿直のアルバイトをしている特別養護老人ホームの苑長と宿直の方だったんです。その苑長は社会から隔離されたところがどうなるかをハンセン病療養所で目の当たりにして、人が出来るだけ出入りできるような老人ホームを設立されたんです。その施設の宿直に誘っていただいて・・・、「岡山で僕の地元、尼崎の方に出会うなんて何かの縁か」と思いました。その苑長に「尼崎貧困問題研究会」や「ハンセン病問題を考える尼崎市民の会」などを紹介していただき、地元のボランティア団体とも交流するきっかけにもなりました。
マイコネ:ひとつの出会いからどんどん広がっていったんですね。「ぼらばん」にはワークキャンプ後から主体的に参加されていたんですか?
芝野:「ぼらばん」にはハンセン病療養所に行くために登録しただけだったんです・・・。
でもワークキャンプに行く前のある日、学園祭模擬店の出店受付を頼まれたんです。そこで「ここに来た人は責任者になります」・・・という事態になって、その時は「はめられた」って思ったんです(笑)。この時はほんと、形だけの責任者になろうかと思っていました。
でも、ワークキャンプに参加してみて、出会った「ぼらばん」メンバーが凄くおもしろくて、この人たちとなら何か面白いことができそうだという手ごたえを感じ、模擬店も真剣にやってみたいという気になったんです。それで「何をするか一緒に考えよう」と呼びかけて準備をしました。
それ以来運営に関わるようになって「これやってくれない?」という話がどんどん来たりもして・・・、新歓を考える今年(2009年)の1月末頃になってやっと、誰かに頼まれることなく最初から自分で決めて「ぼらばん」の運営に参加するようになっていました。

マイコネ:ムハマドユヌスさんを招いての「ESDシンポジウム」という舞台に関わったきっかけは何だったのですか?
芝野:「ぼらばん」メンバーがシンポジウムの企画チームの一つ、ESDチームのミーティングに参加していた所にたまたま立ち寄ったんです。それが次回の会議日程が僕の都合に合わせて組まれてしまって・・・ということから企画メンバーの一員になりました。 当時ESDチームのメンバーは2回生、院生、研修生で1回生は僕だけだったんです。最初は打ち合わせの話にも全くついていけず・・・、それが嫌でESDを初めに定義したとされるものについて勉強したり、チームのミーティングにも毎回出席しました。 そうこうする間にチームの中で「ESDチームの調べてきたことの概要を芝野は良く分かっている」と言われるようになったんです。シンポジウム当日にはチームの皆で作った、このシンポジウムで考えたいESDを表す年表の説明をチームの方々が任せて下さいました。
マイコネ:頼まれたことや任されたことは、何でも前向きに取り組まれるのですね!!
芝野:「目の前に来た事は何か意味があるんじゃないか」と思っているんです。それが原因で一時的に苦しんだり悲しむことになっても、それは「自分を成長させるために転がってきたんじゃないか」ってなんとなく思っているんです。